コンビニに置いてある欲望

コンビニにエヴァンゲリオンの最新巻が平積みされていることとMezzoのアンソロジーコミックが売られていることに驚いた。


エヴァンゲリオンがやっていたのは僕が高校入試をしていたときだから8年前くらいになるのだろうか?そのコミックスの最新巻がコンビニで平積みにされているなんて…。アニメ版とか映画とかのエヴァンゲリオンは高校生の当時は「伏線を張りすぎて回収しきれなくなったからバツンと終わらせただけの不完全な作品」と思ってきたが、大学生になってからネットなのでもう一回調べたところ、あれはエヴァなんて見てるオタクのみなさんの自立を促すメッセージを印象づけるためにせっかく作った物語を回収せずに壊して見せたという感じの意見が載っていて、わりと大勢を占めているようだった。これを聞いた僕はまったく自分の意見を翻して「エヴァは最終話のためにある!エヴァは物語に物語の外を持ち込んだすばらしい作品」と思うようになった。実際、KIDS STATIONでエヴァの再放送を見ても最終話以外はまったく興味がもてなくなっていた。最終話はけっこう面白かった。


僕はいまだにエディプスコンプレックスを克服できていないかもしれないと今なら認めることができる。僕はまだ「父にありがとう、母にさよなら」とは素直に言えない。でもそう言いたい気持ちは強くある。そんな気持ちをエヴァの最終話はすごく応援してくれると思う。


ここまでがエヴァに対する僕の考え方なのだが、漫画のエヴァがまだコンビニ平積みされるという状況は僕には「エヴァが物語りとして完結する可能性」にみんながかけているように見える。僕の意見では物語として壊れているところにエヴァの良さがあるように思えるんだけど、一方で、みんなはエヴァが物語りとしてちゃんと完結することを望んでいるのではないか。だからこその平積みなんじゃないか。それには二つの態度があると思う。ひとつには「自立なんてまっぴらごめん。僕はアニメとともに生きていきます。」という態度があり、もうひとつには「自立はしていて、でもちょっとした息抜きにアニメなんていいんじゃないの、物語を壊してみせるなんてちょっと大人げないんじゃないか、せっかくよくできた設定なんだからこのままがんばってみれば?」という態度があると思う。もちろんどう楽しんでもいいんだけど、今さら物語をうまく構築してみたところでエヴァの良さが失われるだけのような気もする。


エヴァの話はいったん終わるが最近のコンビニにならんでいるものはやたらマニアックだなぁと思った。たしかにMezzoはkids stationでやっていてメジャーなのかもしれないけど、そのアンソロジーコミックがコンビニにあるとはちょっとやりすぎじゃないか。これが普通に売れているとしたら世も変わったなぁと思う。


あとこの前コンビニで驚いたのは「絶対泣ける話」とかいう類の本で、絶対泣ける話っていうのはむしろ泣けない話だと昔は思っていたけど、今となっては自分が泣こうと思って読む話が泣ける話になってしまったなぁと思う。kanonはまだ泣ける話だったような気もするけどAirは泣こうと思って聞く話になってしまっている。CLANNADはどうなんだろうか?18禁にしなかったマーケティングセンスに期待。