ルサンチマン 1 花沢健吾

もう少しで30になるが、仕事も単純作業で、もちろん恋人もいないというはげかかった男が3次元のギャルゲーの中の少女をを彼女にするという話。

この話は近未来の話なので現在のギャルゲーとは少し状況が違う。
具体的には

  1. 3次元
  2. AI
  3. 感触がある

ということだろう。

この状況設定は少々昔風な"ギャルゲーのイメージ"をひきずっているように思う。
ここで表現されうるのはギャルゲーの”日常”の部分だろう。
つまり”泣ける”非日常的なイベントは用意されていない。

それはある意味仮想の彼女を現実の彼女の延長線上というか代わりぐらいにとらえている証拠なのではないだろうか。

もし今ギャルゲーで日常ばかり繰返されて”おち”がないゲームが発売されたらきっとうけないと思う。

まぁまだ1巻しかでていないので設定がよく分からないが、ひとつの可能性としてはその彼女の身体とかに”実は動物”とか”不治の病”だとかいう性質を付け加えておいて、買った時には分からないようになっているなら、現在のギャルゲーでやられていることは表現できると思う。また、格闘のシーンもあったので泣きゲーではない流行っている形式である”活劇”を表現することもまた可能であると思われる。

今のところ気になる設定は”死んでも肉体の再生は可能だが記憶の再生は不可能”という部分で、これがたぶん”泣き”に繋がるのだろう。

まぁ今のギャルゲーとの比較は以上だが、もうちょっとこの作品自体のテーマというところについて言うと、やはり虚構と現実、どちらを選ぶのか?ということに繋がっていくんじゃないかと思う。

今回の虚構と現実の違いは

  1. 相手が自分のことを好きという有利な状態からはじまる
  2. 相手を選ぶことができる
  3. 裏切られる可能性は少ない(AIの設定によってはなくはないと思う)

というところにあると思われる。
つまるところ「自分でコントロール可能な恋愛をしようとしている」んだと思う。

僕は「恋愛はコントロール可能でないところがおもしろい」という立場をとるけど、「自分でコントロール可能な恋愛」で充足できるなら、のってみたい気もする。
その可能性、不可能性を描いてくれることを期待する。

ところでこの漫画ではルサンチマンって言葉をどういう意味に使う気なんだろうか?
単純に自分が持っていないものを妬むということで言うなら、オタクの基本的な主張である「僕らは現実の女の子の代わりとして虚構と付き合っているわけではなく、虚構のほうがすばらしいから虚構と付き合っているんだ」というものには適応できない。彼らの主張で生身をねたんでいるのではないからだ。
しかし、自分がもっていないということをなんとか誤魔化して価値の転倒をさせているという意味ではこの主張によく適用できるかもしれない。
そういう意味では上記でも述べたことに近いが「結局うらやましいのか?」ってことをよく考えて欲しい。

とにかく今後に期待。